素直な器には、作者の個性を越えて向こう側から香るように作用するものがある、このように私が思ったのは、五年前武蔵野美術大学に留学していた高振宇の磁器を見た時であった。作品にただよう作者の感性がその作用をひきよせていた。
 そのとき私が「青春的磁器」と呼んでそれを評価したのは、中国民族の向上的資質を示す精華となった陶磁器の歴史を反芻してのことだ。
 三千年以上も昔から玉器と銅器にみごとな造型を楽しんだ民族は、完璧という熟語さえ生んだ後、陶土の自在な造形力と色彩効果を得ると、忽ち唐三彩のロマンを歌い上げ、宋代から元明清へかけて白磁・青白磁・青磁を完成させた。
 一千年に及んで階段を上ってゆくような中国陶磁発展の確かな歩みを見る時、時代時代の特徴を示す一点一点を通じて流れる感性、霊気のように立ちのぼるそれに、感動を覚えない人はいない。
 西洋東漸に蔽われた今世紀百年の、アジアの苦難の時代に、方途を見失ったこの大国に於いて、リーダーシップをなくした官窯は惰性化した磁器を作るだけになってしまった。分業化し技術のみ過信した官窯の悲劇である。
 同じ百年に脱亜入欧を目指した日本は、西洋近代絵画のアマチュアリズムを、賢明にもやきものに移入したバーナード・リーチと富本憲吉の友情が、窯元に束縛されていた職人芸からやきものを自立させ、個性を謳歌する陶芸の隆盛を導いた。
 民芸のスローガンで運動となったそれは、その刺激から対抗的に伝統を再生する一派をも生み、総じて競合する創作性の線上に、八木一夫(1918〜79)を代表とする戦後の革新を生んだ。
 「誰が壷の口を最初に閉ずるか」
 を黙契とした研鑽の葛藤期を経て、用の約束を破ってひらかれたオブジェ作法は、しかし今では感動のない鑑賞玩具を生産している。人の目をひきつけようとする造形への気負いは、悲しいことに感性の発露をさまたげている。
 やきもののように素材と技法の勝つものは、みがき上げられた形と修行とを背景にして、かえって作者の感性を生かす。そこに個人的な感性を越えて向こう側にただようナショナル・コンセンサスといったものが作用する。
 たとえば茶わんである。平凡なあの形に作り手として名を立てた人は、閉鎖して閉鎖して閉鎖すると解放される、そのように思ったのではないか。
 高振宇が日本留学中につかんだのは、器作りにおけるこの呼吸ではなかったか。彼はそれを磁器の美を追究した宋代の呼吸に合わせ、自身の感性を発露させる道とした。
 身ほとりの鑑賞陶器として珍重される茶わんに当たるものは、中国では茶壷(急須)だ。
 民窯の陶郷宜興で、紫砂急須の窯元に生まれた高振宇は、もの心つく頃から、風船をふくらますように掌中で成型する、世界に類のない急須作りの作法を体得していた。
 彼のその技術と感性は、日本留学によって初めて学んだロクロ成型にかってない微妙なふくらみをもたらした。透明さに迫ってうねり流れる克明な鎬(しのぎ)、それはふくらみへのゆとりある挑発なのだ。
 ちなみに、今世紀初頭の純粋芸術の意識にそう創作をめざして、土練りから成型、釉掛け、焼成と、一貫して一人で陶器つくりを行なったのは、日本では富本憲吉が最初であったが、中国では、高振宇が初めて今その役割を果したことをここに記しておく。

                          ────  海上 雅臣 (美術評論家)

 

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